金沢市内観光巡り「兼六園から市内を巡る旅」
仕事で立ち寄った石川県金沢市の
「兼六園」
をご紹介します^^
石川県金沢市は、昔からの街並みや建ち並ぶ家屋の風情が京都の街並みに、どこか似ていることから「加賀の小京都」と呼ばれています。
江戸時代の金沢は、加賀百万石と呼ばれ栄華を極めており、現在でも当時の伝統文化や歴史を感じながら旅を満喫することができる地域です。
金沢市内の中央に位置する「金沢城」と城に隣接する「兼六園」は、金沢を代表する観光スポットです。
前田家の居城であった金沢城は、大半が火災で焼失していますが、現在は、復元され金沢城公園として公開されており、国指定の城址として認定されています。
兼六園は、加賀百万石の前田家の庭園として、延宝4年(1676)に前田家の5代藩主、前田綱紀が造園しました。
兼六園は、水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並んで日本三名園として有名で、あらゆる角度から見ても、その風景が楽しめる回遊式庭園の造りがなされています。
その美しさは、国の特別名勝としてその価値は、国宝レベルに指定されている素晴らしい庭園です。
庭園は、春には桜、5月下旬にかきつばた、秋に紅葉、冬には雪吊りと四季折々の「和の風情」を凝らしています。
また、園内には19世紀中期(藩政末期)に造られた日本最古の噴水があり、この噴水は金沢城に兼六園の池の水を引くために試作されたものと伝えられています。
■ユニークな現代アートが楽しい「金沢21世紀美術館」
兼六園に隣接する全面ガラス張りの開放感あふれる円形の建物が、「金沢21世紀美術館」です。
美術館のテーマは、現代美術の面白さや不可思議さを伝えており、館内だけでなく館外の敷地内にも多彩でユニークな作品が展示されています。
美術館の屋内は無料で楽しめる「交流ゾーン」と、有料で観賞する作品が展示されている「展覧会ゾーン」に分かれており、「交流ゾーン」にはミュージアムショップやカフェレストラン、アートライブラリーもあります。
数多いユニークなアート作品の中、一番のおすすめは上からも中からも見たい不思議な世界を体感できる「スイミング・プール」という作品です。
■和のテイストと情緒たっぷりの町「ひがし茶屋街」
「ひがし茶屋街」は、和の趣を感じる写真を撮影するのにぴったりな場所です。
レンタル着物を着て、町並みバックに撮影している女性観光客の姿も多く見られます。
茶屋街の通りには、格式ある割烹やおしゃれな「町家づくりカフェ」、伝統工芸品などを取り扱うセレクトショップなどが建ち並んでおり、夜には、どこからともなく三味線や太鼓の音が聞こえてくるような風情ある街並みに変貌します。
元々、「ひがし茶屋街」は文政3(1820)年に、加賀藩公認の茶屋町として栄えていた処で、現在もその名残である出格子がある建物や石畳の路があり、重要伝統的建造物保存地区として残されています。
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「日本のベニス」、北前船海運で有名な富山県射水市の内川周辺をご紹介いたします。
日本のベニスと称される、日本海に面した富山県射水市の内川周辺。
この地域は、江戸時代から明治時代にかけて、日本海の海運事業で活躍した「北前船(きたまえぶね)」の中継地として栄えてきた場所です。
■昔の風情があふれる素敵な町「内川」沿いの町
内川は射水市の新湊地区を流れており、富山新港から東西におよそ1850メートルのから海へと流れる運河であり、地元の人たちにとって生活に密着した存在の河川です。
古くから、地域住民の生活と深く関わりを持ち、親しまれてきた緩やかな流れの川沿いには、民家が建ち並んでおり、その両岸に漁船が何艘も繋留されています。
岸沿いを歩いていると潮の香りに包まれ、心地良い海風が頬を撫でていきます。
古くから、内川という運河が住民の生活に溶け込んでいて水辺空間と生活空間が一体化した風景が日本のベニスと呼ばれる由縁だそうです。
しかし、本家のベニスとは違って、のどかな原風景が広がる地域で、歩いていると癒される感じがします。
格子戸の家並みに足を進めていくと、蔵や銅板の壁、軒下にうるしを使用している家屋など、とても豪華な造りが施されています。
こうした家屋が現存しているのも、北前船時代の繁栄の証しではないでしょうか。
■内川に架かる個性的な橋群
内川には数百メートルごとに、12基のユニークで個性的な橋が架かっています。
スペインの建築家、セザール・ポルテラ氏設計の切妻屋根付きの歩行者専用の「東橋」は、ライトアップされる夜の姿もおすすめです。
「山王橋」は「手の橋」と呼ばれており、射水市出身の彫刻家である竹田光幸氏による大理石の手の彫刻が飾ってあるアートな橋です。
城をイメージした「二の丸橋」、そして足利義材(よしき)のブロンズ像が立つ放生津橋に、72枚のステンドグラスがはめ込まれている内川のランドマーク的な橋「神楽橋」など、これらの橋を眺める富山湾と内川を周遊する遊覧船が運航されていますので、船上から橋の全体像や川沿いの街並みの風景を楽しむのも、旅のおすすめのアクティビティではないでしょうか。
■まとめ
数多くの漁船が係留された川沿いに建ち並ぶ、昔ながらの家々、そして個性的なデザインが施されたユニークな橋が架かっている風景は、どこから見ても絵になる景色なのです。
心落ち着く懐かしいノスタルジックな雰囲気と、潮の香りと浜風に揺られて過ごす港町「内川」の川巡り散歩、最高の一日旅でした。
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朝霧に包まれた天空の城「越前大野城」
仕事で福井県に出かけた際、早めに仕事が終わり、近くの越前大野城に出かけてみました。
福井県大野市の越前大野という土地柄は古くから、越前・美濃両国を結ぶ交通の要所として栄えてきた時代があり、とても歴史を感じる町なのです。
その中でも、天空の城として有名な「越前大野城」は、人気の観光スポットです。
■天空の城と呼ばれる理由
大野は、織田信長の時代、京都に似た碁盤の目のような城下町が建設されて「北陸の小京都」と呼ばれるようになりました。
この地に、越前大野城の築城着手がされたのは天正3(1575)年頃で、織田信長の配下で活躍した金森長近が築城し、それ以来、およそ290年の間に城主は19人変わりましたが、ずっとこの小高い丘に建っていました。
現在の建物は、残されていた絵図や同じ時代の城を参考にして、昭和43(1968)年に鉄筋コンクリート構造によって再建されたものだそうです。
建物内には歴代の城主にまつわる品々が展示されており、それぞれの時代をしのぶことができます。
城が天空の城と呼ばれるのは、城が建つ地の周囲が山に囲まれた盆地であることに庵系するのか定かではありませんが、秋から春にかけて雲海が出現し、麓の当時の城下町全体が雲で包まれた光景が造り出されるからなのです。
■越前大野城を歩いてみる
越前の大野城は、大野盆地にある亀山公園内の標高約249mの亀山に築かれた平山城です。
天守閣までは、自然豊かな公園内の遊歩道を、20~30分くらいほど歩くと到着しますが、緑に囲まれた遊歩道を歩いていると、ちょっとしたハイキング気分を味わうことができます。
城の周辺には、およそ300本近いソメイヨシノが植樹されており、桜の名所としても地元で人気が高いそうです。
また、頂上へ向かう遊歩道の脇には、スミレやカタクリなどの野草が咲き誇っており、自然が織りなす風景に改めて感動します。
■天空の城が見られる条件とは
雲海に包まれた越前大野城を見たいときのポジションは、城の西方面へ約1キロに位置する戌山(いぬやま)城址がおすすめポイント言われています。
城址への道のりは、本格的な登山道であることから、登山用の靴や服装で行かれた方が良いようです。
雲海の見られる時期は、10月から4月だそうですが、特に11月頃が一番見られる確率も高くなるそうなのです。
そして、雲海が良く見られる条件として、時間帯は11月頃の明け方から午前9時頃で、天候は前日の気温が高く雨が降り、翌日の朝に弱風だと雲海が出やすくなるようです。
今回は、雲海の包まれた越前大野城に遭遇できませんでしたが、次回、福井に来た時の楽しみにとっておこうと思います。
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名作サッカー漫画「ファンタジスタ」を一気読み!
今日は、以前私が休みの日に「そういえばあるはず…」と思い本棚から引っ張り出しては一気読みしてしまった懐かしの名作サッカー漫画
「ファンタジスタ」
についてご紹介します!
「ファンタジスタ」って?
「ファンタジスタ」は、週刊少年サンデーで1999年から2004年まで連載されていた草場道輝によって描かれたサッカー漫画です。
そもそも「ファンタジスタ」とはイタリア語のサッカー用語で、「閃きや創造性のあるプレーで観客を魅了するスーパースター級の選手」という意味があります。この言葉は1998年頃からイタリアのメディアが、創造性ある美しいプレーをしていた元イタリア代表のロベルト・バッジョに対して使ったことから多用され始めました。
この漫画の主人公である坂本轍平のモデルはロベルト・バッジョであり、轍平も同様に作中では「ファンタジスタ」と呼ばれています。
素人の轍平が世界に羽ばたくまで
離島で生まれ育ち、1人で技術を磨いていた主人公の坂本轍平は、都立水本高校サッカー部で監督をしている姉の坂本琴音に呼ばれ上京。その当日、いきなりサッカー部に合流して幼馴染の森川率いる強豪校との試合に出場します。轍平は島で磨いたボールテクニックで観客を魅了し、実際のサッカーコートでプレイするのもはじめての素人ながら、ゴールも決めてしまいます。
この轍平のプレーは森川を視察しに来ていたACミランのスカウトマンをも魅了し、ACミランにスカウトされますが轍平はこれを断り、姉と、水本高校の仲間とサッカーをしていくことになります。
その後、轍平と同じくファンタジスタと言われる沖田の所属する天神高校、高校選手権の予選などを経て、初めはパスをすることも知らなかった轍平はメキメキと成長。天神高校の監督の推薦などもあり、日本ユース代表の合宿に招集されます。
代表合宿では幼馴染の森川や沖田と再会、他にもこれからも苦楽をともにしていく近藤などとも出会い、厳しいポジション争いもあった合宿を終え、イタリア代表なども参加するJY杯に出場します。この大会で轍平は、生涯のライバルとなるイタリア代表のファンタジスタ、マルコ・クオーレにも出会うことになります。
その後、代表合宿とJY杯で大きく成長した轍平は水元高校を率い、選手権東京代表を勝ち取るため、代表ではチームメイトであった山波や西郷と対戦します。
そして轍平は更に高いレベルでサッカーを学ぶため単身イタリアに渡り、ACミランの下部組織に入団します。
ミランではJY杯で対決したイタリア代表の面々に再会、今度はチームメイトとしてトップチーム昇格をかけてしのぎを削る事になります。なんとかトップチームに昇格しましたが、轍平はなかなか試合に出場できていませんでした。そんな中轍平はオリンピック日本代表に招集されます。
代表ではJY杯を共に戦った仲間たちに再会しますが、監督は「ファンタジスタの同時起用はしない」と轍平と沖田の同時起用を否定。試合感を失っていることに加え、オリンピック開幕前に届いた悲報に悲しむ轍平は、パラグアイや強豪ブラジル、そしてマルコやミランの仲間擁するイタリア代表相手に実力を発揮できるのか…!?
「必殺技」などのような派手な演出などはなく、現在のサッカーにも通用するような戦術論なども登場する本作は、サッカー好きや経験者にとてもおすすめです!
また、わかりやすい解説も付いているので、サッカーをやったことがないという人も十分楽しめる内容になっているので、興味を持った方はぜひ読んでみてください!
また、本作から約8年ぶりとなる2012年から2015年までは、あの本田圭佑選手の原案協力のもと、本田選手本人も登場する続編「ファンタジスタ ステラ」が同じく週刊少年サンデーで連載されていました。とても面白い作品なので、そちらもぜひチェックしてみてください!
今日はこのへんで!
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あの輪島塗を先進的展示で堪能できる輪島塗会館
石川県輪島市と言えば、誰もが連想するのが輪島塗!
先日、塗物が好きで溜まらないという友人に連れられて、ある資料館を案内してもらいまいた。それが輪島塗に関する歴史民俗資料約4000点を保有する輪島塗会館です。
出典元:輪島塗会館
1F:塗物好き大興奮の展示販売コーナー
まず、1階は輪島市内約60件の漆器店の品々を集めた、展示兼販売のコーナーとなっています。普段使い可能なものから、使用するにはおそれ多過ぎて、装飾品としていつまでも眺めていたいような傑作輪島塗の数々が大量に展示してあります。その空間はさながら輪島塗のオアシスのようです。気に入ったら(お財布と相談して)購入できるというのがまたテンションが上がりますよね。
出典元:輪島塗会館
2F:輪島塗に関する資料展示室
第1展示室は、輪島塗の製作工程を詳細に展示したものです。細かい説明が列挙してあると思いましたが?いや、実際はもっとすごいです。全部で124の手数が必要とされる輪島塗作りですが、実に133個の椀工程見本で視覚的に分かりやすく展示してあります。
輪島塗は完成まで途方もない数の工程を要し、その工程ごとに「木地師」「塗師」「蒔絵氏」などの職人が存在します。そして一つの品が完成するまで半年から1年、原木の乾燥工程を含めると数年の歳月を要します。そうしたプロセスを見本の133個の椀で実際に表現しているのですから、そんな展示日本中どこを探してもこの輪島塗会館にしか存在しません。
第2展示室では、輪島塗の歴史文化に関わる紹介がなされています。輪島塗の起こりやそれが発展してきた歴史的背景、さらに輪島塗職人に関する資料など、日本一の漆器製品が歩んできた道のりを丁寧に学ぶことができます。
出典元:輪島塗会館
建物は2015年に総リニューアル!
輪島塗会館の建物自体は、輪島漆器会館老朽化による建替計画として、2015年にリニューアルを遂げたばかりで、伝統工芸というイメージとは裏腹に、外観・内装共に非常にクリーンでスタイリッシュなデザインとなっています。デザイン性が高くても、周囲の町風景との調和も十分果たしていて、主張と融和のバランスが実によく計算されていると感じます。
屋内では2階の歴史展示コーナーの雰囲気が特におすすめで、全体に黒で統一された空間に展示品が巧みにライトアップされる演出は、来館者自身が輪島塗の黒塗に取り込まれたかのような不思議な感覚にも誘い込んでくれることでしょう。
まとめ
国の指定重要無形文化財、そして漆器に詳しくない人でも誰もがその名は知っている輪島塗、今日では、有名デザイナーとのコラボなど未来をも見据えたアクションを起こしています。そうした前衛的な企画展なども、輪島塗会館では定期的に楽しむことができます。
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「never young beach」を聴いて、穏やかな音の風を感じながらドライブ!
今日は、私がよく車内で聴いているバンド
「never young beach」についてご紹介します!
▲1stアルバムに収録されている「あまり行かない喫茶店で」
「never young beach」って?
「never young beach」は、ボーカル・ギターの安部勇磨、ギターの阿南智史、ベースの巽啓伍、ドラムの鈴木健人の4人で構成されています。
2014年の春に、安倍と元メンバーの松島(ギター・2018年に脱退)が宅録ユニットを結成、そして2014年の9月に阿南、巽、鈴木が加入、東京で結成されたロックバンドです。ファンからは「ネバヤン」という略称で親しまれています。
「The Strokes」や「Mac DeMarco」、「細野晴臣」などに影響を受けた彼らは、ポップセンス溢れるメロディやトリプルギターのサウンドがおりなす美しいアンサンブル、奇をてらわない良い意味でありきたりな歌詞の楽曲たちは、どんなときでも心地よく聴くことが出来ます。
▲3rdアルバムに収録されている「SURELY」
トロピカルな1stアルバムから洗練された最新アルバムまで
ネバヤンは2015年にリバーブのかかったトロピカルなギターサウンドが特徴的な1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」を、2016年には更にポップさに磨きをかけ、昔懐かしいロックと現代的なロックが融合したようなサウンドの2ndアルバム「fam fam」をインディーズでリリース。一躍インディーシーンの主役に躍り出ます。
2017年にはメジャーデビューアルバムでもある、夏の匂いを感じさせる直球のロックが鳴り響く3rdアルバム「A GOOD TIME」をリリース。
そして2019年には、4thアルバム「STORY」をリリース。これまでのようなエフェクトのかかったギターサウンドは影を潜め、タイトなドラムビートが刻まれ、女性コーラスやスティールパン、マリンバやピアノなどのサウンドも入った本作は、これまでの開放的でゆるい雰囲気の楽曲とは打って変わって新鮮な、洗練されたネバヤンを味わうことが出来ます。
▲5thアルバムに収録されている「STORY」
そんな「never young beach」に興味を持った方は、ぜひ聴いてみてください!
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ヒスイ海岸で(安全第一に)宝石翡翠を探せ!
素人でも宝石探しが楽しめる!?
富山県朝日町にある宮崎・境海岸は、ヒスイ(翡翠)の原石を拾うことができ、通称ヒスイ海岸と呼ばれて親しまれています。
ヒスイ海岸の見所
まず、ヒスイ海岸は砂浜ではなく、小石を多く含んだ浜になっているのが大きな特徴です。
そうした無数の小石たちの中にヒスイの原石が紛れているというわけですね!
もちろん夏は海水浴にもおすすめの海岸です。環境省認定「日本快水浴場百選」にも選ばれていて、北陸とはいえ夏にサンサンと照りつける太陽と、エメラルドグリーンの水面の美しさは、同エリア屈指の海水浴場として人気を集めるのも頷けます。夕刻には海や海岸一帯が夕日に美しく照らされ、ロマンチックな光景にじっくり見入ることもできます。
ヒスイ海岸には翡翠がいっぱい、それはなぜ?
ヒスイを見つけるコツはあるんでしょうか?
それはどうして宮崎・境海岸にヒスイが多く見られるのかという理由を探っていくと、自ずと答えが出てきます。新潟方面の川岸より水流にのって日本海に流れ出たヒスイは、陸側に寄せ行く波によって、海岸に打ち上げられてしまうのです。そうしてヒスイが大量に打ち上げられてくるポイントが、ちょうど宮崎・境海岸=ヒスイ海岸に該当するということなんですね。
ヒスイ探しでは安全面が第一優先
というわけで、ヒスイを見つけやすい条件は「前日に波が荒れていた時」ということになります。しかし、前日に波が荒れていたということは、翌日も引き続き波がそこそこ荒れている可能性は十分あります。くれぐれも近付いて安全な海岸の様子か否か、しっかり確認してからヒスイ探しを始めてください。基本的には、ヒスイ商を営むわけではない皆さんは、前日の天気の荒れ具合を気に留めるのではなく、単純に海岸を訪れて心地よいと感じられる気候の時に、ヒスイ探しを行うことをおすすめします。
ヒスイ海岸の翡翠はどんな見た目?
ヒスイが見つかり易い海岸といっても、加工されているわけではないので、本当にヒスイなのか判断の難しい部分があるのは確かです。ヒスイ海岸の翡翠は、川に運ばれ、海の波に揉まれ、周囲が削れて比較的丸みを帯びている形状が多いと言われています。装飾品としてのヒスイを思い浮かべると、緑色という印象が強烈だと思いますが、海岸で見つかる翡翠の色は緑以外に、白・紫・青・黒といったカラーも見つかります。翡翠に含有している成分次第でその発色が異なっているようです。
まとめ
日本鉱物科学会の発表で、晴れて日本の国石となったヒスイ、水晶などを抑えての選出となったそうで、日本にとって実にゆかりの深い石というのは間違いありませんね。そんな国石をヒスイ海岸にてお散歩がてら探してみるのもいいですね。
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